二代目:山口忠夫
●昭和13年生まれ
●昭和39年東京歯科大学卒業
●慶応大学医学部歯科口腔外科教室
●山口歯科医院二代目として昭和42年5月父親と共に開業する。
記憶をたどれば、当時高度経済成長期と共に世界に冠たる国民皆保険の下で治療希望者が多く1時間待ち5分治療という時期であり、日曜日も治療し休診なしの毎日でした。その時48年~49年頃金地金の上昇、技工料金物価の高騰になり、保険診療崩壊が危惧され、差額徴収自由診療が表れる。
その後差額徴収に関して悪徳医が生まれ、廃止されるという事がありました。
茨城県歯科医師会に関しては、諸委員会を通じて多数の先生方との出会いがあり大変勉強になりました。
所属委員会に関しては下記の通りです。
●茨城県歯科医師会代議員12年間
●日本歯科医師会予備代議員6年間
●日本歯科医師会代議員2年間
●社会保険委員8年間
●裁完委員会2年間
●調査室委員会4年間
●茨城県警察歯科医会会員13年間
●共済部委員会委員4年間
●医療事故処理委員会委員4年間
●会館運営委員会委員4年間
●会館運営に関する諸委員会7年間
●連盟評議委員6年間
●茨城県歯科医師連盟元理事
●鹿行歯科医師会支部長4年間
●行方地区学校保健会元会長
●茨城学校保健会元理事
一方、大学に関しては不肖私が東京歯科大学同窓会評議医院と茨城支部長をおおせつかっておりました。
同窓会の不祥事件に遭遇したり同窓会関東ブロックの当番県に当てはまり大変でした。又、東京歯科同窓会茨城支部沿革史発刊に向かって全会員で頑張りました。
当医院の旧麻生町においては昭和48年に麻生ライオンズを結成しゾーンチェアーマンも経験し、平成18年度に3年間の奉仕活動の発展的解消をしました。
ライオンズクラブの多くの活動の中でもフィリピンミンドロ島に救急車を贈呈し州知事さん達の歓迎を受けその後旧麻生町に表敬訪問の為に来町し町内案内した事は特に印象に残っております。当時海外に奉仕するには申請手続き多くあり大変苦労しました。
一方、平成の大合併の為に麻生という名が消えてしまうのは誠に残念でありますので19年度に「麻生創生会」というボランティア組織を作り月例会を開いております。
又、趣味としてゴルフを始め35年になりますが、下手の横好で一向に上達しませんでした。当時、病弱だった妻にゴルフを進め、診療終了後夜遅くまで練習所に通い続けました。
空振りの連続でしたが。次第にボールが打てる様になり、気分転換もあり体調も良くなり、ゴルフのお陰と思っております。現在は二人で麻生カントリークブの月例競技にも参加しております。プライベートコンペもあり、多くの人たちとの出会いがあり健康的であり人間関係が深くなるのがゴルフの良い点だと思います。ちなみに、クラブハンディキャプは私は12、妻は24ですがまもなく100を切るのが精一杯になってきました。
健康維持にも出来る限り長くやりたいと思います。
ある時期には町のゴルフ連盟理事長をやることになり、事業の一つとして夏休み期間中に始めてゴルフ教室を開き、小学生から大人まで自由参加で実施し好評を得ていました。
プロゴルフ界は男女共に若い選手が沢山出ており、ブームが続いております。
一方、国政の現状は税金の無駄使い等で国民の希望とは逆方向に進んでおり我々医療界に関しては、医療費抑制政策の中に閉じ込められて身動きの出来ないところであります。
一日でも早く明るい歯科界になる事を希望するところであります。